このたびの統一地方選挙で、愛知県の蒲郡市議会議員選挙にて、初めて当選させていただくことができた。これもひとえに、故加藤宣幸さんを始めとする「メールマガジン『オルタ』」と「オルタ広場」に集うみなさまの、有形無形のお力添えの賜物であると感じている。ここに改めて感謝を記すとともに、「体験談」を記録することで、統一地方選挙の一現場からの報告とさせていただきたい。
1 はじめに・・・蒲郡市(がまごおりし)について
蒲郡市は愛知県の東部に位置し、人口は8万人あまり。穏やかな三河湾の海と、三方を山に囲まれた風光明媚なまちである。市内には4つの温泉街を有し、全国有数の出荷量を誇る温室みかんや、三河湾と近海・深海で獲れる海の幸に恵まれ、季節によっては潮干狩りやあじさい、花火大会や300年以上続くお祭りなど、春夏秋冬を通じて楽しんでいただける観光都市として、(決して広く知られているとは言い難いとは思うものの)年間600万人を超す観光客が訪れている。このまちで育った私も、誰に対しても自信を持って自慢できる素晴らしい土地だ。読者のみなさんのご来訪も心から歓迎したい。
2 新人候補の差別化戦略 ①・・・「36歳」「0歳児のパパ」「無所属」
人口8万人の蒲郡市の有権者は約6万人で、市議会議員の定数は20名。下馬評では「現職と新人を合わせて30名近くが立候補する」などと言った話もあったが、最終的な立候補者は22名で、現職が17名、新人は5名という内訳であった。候補者の年齢層は高く、多くが50代〜60代であった一方、若い世代からの候補者として、30代は2名(32歳と36歳)のみであった。
過去の選挙を振り返っても、「現職が圧倒的に強い」という地域事情もあること、また、必ずしも明示的ではないが、地域の割り振り・区割りも存在し、活動で「回ってもよい」地域も若干の制限があったと言える。そうした中、新人候補者としては戦略の立案に大変腐心した。結果として奏功したかはわからないが、私のアピールポイントは、「36歳という若さ」「0歳児の子どもをもつ子育て世代」「政党や地域、団体の推薦などを受けていない無所属」の3点に絞り込んだ。
・「36歳という若さ」
街頭で、また、直に接した方々からの反応には、「これからは若い人たちにがんばってもらいたい」「これからはあなたたちの時代だ」「政治家も世代交代を進めるべきだ」など、非常に前向きなご意見が多かった。私自身も街頭や演説会で、「これからの蒲郡市のためにも、議会に若い世代の声は不可欠」とお訴えしてきた。もちろん私は、ただ単に「若い」ことが売りになり票になるから、アピールをしてきたわけではない。言うまでもなく、きちんとした根拠がある。
その根拠は、蒲郡市の行政計画にある。地方自治体の行政の運営は、どこでも基本的な計画にもとづいて進められているが、蒲郡市においては、平成23年・2011年に策定された「第4次蒲郡市総合計画」が、現在の最上位にある重要な計画となっている。これが、令和3年・2021年に改定され、「第5次総合計画」が策定されることとなっている。
第5次総合計画の策定に向けた準備は、すでに進められているが、計画の議論に加わり、最終的に議決することとなるのは、今回の選挙で選ばれた議員たちである。従って、今回の選挙はただ単に4年間だけ働く議員を選ぶのではなく、今後の蒲郡の姿を決定づけるー10年や20年にとどまらず、もっともっと先の蒲郡市の姿をすら決定づける役割を担う議員を選ぶ選挙ということになる。
そのような重要な計画の議論を担う議会に、若い世代の声を代弁する30代の議員が必要ではないか、と私は訴えてきた。私には現在0歳の子どもがいるが、この子の世代が学校に通うようになるころ、成人式を迎えるようなころ、蒲郡市はどうあるべきか、まさにわが子のことを考えることは、私にとっては、蒲郡市の将来を考えることに他ならない。その意味では、誰よりも自分ごととして考えることができると私自身は確信している。
もっとも、選挙でどこまで市民のみなさまにその必要性をお伝えできたか、私には不安が残っている。若い人、あるいは新人には任せられないという声もないわけではなかった。しかし、選んでいただいた以上は、将来の蒲郡市のために、粉骨砕身、議論に取り組んでいかなければならない。責任ある提案を届けていきたいと考えている。
・「0歳児のパパ・子育て真っ最中」
子育て施策の充実化は、人口減少社会にあって、どこの自治体にとっても優先順位の高い課題であり、蒲郡市においても例外ではない。0歳の子どもを抱える私は、この問題に自らが当事者として直面することとなった。実際に、子育て支援センターや児童館に一利用者として通いながら、市の様々な子育て施策を活用し、また、多くのママ友・パパ友と出会い、身近な悩み・困りごとをひとつひとつお伺いする中で、より現場の声に寄り添った子育て施策の在り方を考えてきた。
蒲郡市の子育て施策は、近隣の市町と比べても、充実している方だと言われる。児童館は市内に7つある中学校区に1館ずつ整備されているし、医療費の無料化やブックスタート、定期検診や離乳食教室、保健師からのサポートなど、私自身の実感としても、今のところ市の制度や施策に不備があって困っている、といった状況に直面していない。
だが一方で、目立った特色がない(他市町と比べて秀でている施策が乏しい)とも言え、子育て施策を充実させて、人口増加を図りたいと考えるのであれば、改善の余地があると言えるだろう。
子育ての現場からの声は実に多様で、「祝日に児童館が閉まっていて不便」「子育て支援センターが狭い、駐車場がない」「公園の遊具が古い」「歩いて行ける公園がない」など、まさに子育てに関わっていなければ、気づかない意見ばかりである。
いただくご意見は、行政の視点からすれば、予算がかかるものからすぐに対応できるものまで、様々な段階がある。
私が議員を目指していることを話題にすると、そのような人が身近にいないという声ばかりで、ありがたいことに頼りにしていただいていると思う。当選後には、お声かけいただく機会がさらに増えた。妻と子どもにも大いに一役買ってもらった。この点については、反応は十分で会ったと思う。時間がかかるものもあるかもしれないが、ひとつひとつ提案をしながら解決していきたいと思う。
・「政党や団体、地域の推薦などを受けていない無所属」
読者のみなさんはこの「無所属」にどのような印象を持つであろうか。
私の感覚的な結論から言えば、「マイナスにはならなかったと思うが、プラスにもならなかった」というのが正直なところであったと思う。特定の政党の支持があればより当選に近づいたとも、遠ざかったとも言い難い。いろいろな「お話」があったことは事実だが、結果として、政党や団体の推薦については、こちらから特に推薦をお願いしたり、またお受けしたりということもなかった。
選挙カーや街頭からは、無所属であることを訴える機会が多かった。新人候補者の5名のうち、私以外の4名は、特定の政党の公認を受けていたことも意識して、無所属を強調した。たしかに、無所属だから支持してくださった方もあったことは事実であると思われるが、目に見えて支持が広がったとも考えにくかった。所属政党や団体の推薦の有無は、もしかすると、小さな地方議会の選挙では問題にならないと言う方がより正確かもしれない。
一方で、地元の推薦については、若干、複雑な事情が生じていた。
蒲郡市において地元の推薦と言った場合、「町内会」「自治会」に相当する「総代区」による推薦を指し、総代区の役員によって、特定の候補者を総代区として支援することが決定される。基本的には居住している地域の総代区から、支援を受けることになる。
具体的にどのような支援をするか、という点については、地域によって様々であるが、ただ単に、「○○地区推薦」と看板に出すことを認めるだけの場合もあれば、選挙事務所や選挙カーの人手を提供することで、支援する場合もある(この場合、地域の役員によって、事務所待機要員や選挙カーの運転担当やマイク担当など、シフトが割り振られるという)。また、地域の役員からの支持拡大も期待できる。地域住民に対しては、もちろん何らの拘束力もないが、地域推薦の存在感はおそらく他の自治体よりも大きいのではないかと思う。
私の場合、居住している地域にはすでに、5期連続当選で6期目に臨む現職が、地域の推薦を受けていたことから、私への推薦は見送られることとなった。いくら地元出身、地元在住とはいえ、当選するかどうかも分からない新人に、推薦を出すことなどできないという事情も理解できないではない。そこで、私は私として、推薦の有無にかかわらず、(若干の配慮はした上で)活動を進めることとなった。
結果として、私も現職も当選させていただくことができたので、大きな問題は生じなかった(現職が落選していたらそれこそ「大変」だったかもしれない)。なお、現在では地元選出議員として、地域の会合や行事にもお声かけをいただいている。また、地区総代さんからいただく様々なご相談についても、市役所との橋渡し役をお引き受けし、ひとつひとつ動き出している。
3 新人候補の差別化戦略 ②・・・「本人直通・24時間」「始発から終電まで」
活動にあたっても、新人候補なりに差別化を検討したが、これが実際には、私にとって、政治家として何が重要であるのか、改めて考え直す契機となった。
・「本人直通・24時間」
最近では多くの政治家が自信の携帯電話の番号を公開しており、私も立候補に当たって、自分の電話番号を公開することとした。私があえて差別化を図ったのは、「本人直通・24時間」と明記した点にある。
わざわざ「本人直通・24時間」と明記したことには理由がある。
NPOで活動しているころ、深夜3時半頃にある電話を受けた。「包丁を手に持って、台所に立っている」「生きる意味を失っている」と言う。電話は1時間近くに及び、「恋人と別れられなくて困っている」「経済的に自立していないので不安」「今後どうしたらよいか」など、悩みを聞いたが、残念ながら私から、これといった解決策を示すことはできなかった。ひととおり話し終え、「落ち着いた」ということで、その電話は終わった。私は改めて自分の無力感を感じたが、同時に、とりあえず最悪の事態は免れたと思い安堵した。
後になって、電話の主から「あのとき電話に出てくれたから、今、生きていられる」と感謝された。私はただ電話に出ただけで、話を聞いただけであったが、なるほどたしかにひとりの命を救ったのかもしれない。この経験から、たった1本の電話に出るだけでも、人の人生を左右する可能性があることを実感し、少しでも力になれるのであれば、と思い、番号を公開することにした。
いたずら電話や嫌がらせの電話の心配をしてくださる向きもある。たしかにそのような電話がかかってくることもあるが、電話番号を公開し、24時間受付と明示するだけで、救える命があるのであれば、まったく大した負担ではない。当選後、今のところ深夜・早朝に電話はないが、いつでも受ける準備はできている。蒲郡市民に限定しているつもりもないので、困ったことがあれば何でもお知らせいただきたいと思う。
電話:090-1745-0783(本人直通・24時間)
・始発から終電
もう1つ、私が市民のみなさんの声をお伺いするために続けている活動がある。それは、始発から終電まで、駅の出口でお待ちして、ご意見やお話をお伺いするという活動である。首都圏の先輩議員の活動にアイディアをいただき、蒲郡市では初めて、おそらく愛知県内でも初めて、私が取り組んだ活動ではないかと思う。
蒲郡市でも、始発は朝の5時台から、終電は1時近くまである。ランチやトイレなどの休憩ははさむものの、約20時間、駅前での活動を継続する。体力的にも決して楽ではない。実は私も当初、この活動に対しては懐疑的であった。一日中駅に立つと言っても、日中などは効率も悪く、目立ちたいというだけの単なるアピールではないか、と思っていたからである。
だが実際に取り組んでみて、考え方が180度変わった。
多くの政治家は、朝の忙しい時間帯だけ駅に立ち、一方的に演説をしチラシを配って、人通りが少なくなれば、活動をやめて去って行ってしまう。政治家としては、きわめてオーソドックスな活動であるが、私は改めて、何のために政治を志しているのか、何のために活動をしているのか、心底問い直したい、そう感じるようになった。
選挙では、多くの政治家が「市民に寄りそう」とか「市民の声に耳を傾ける」とか、ある種の「きれいごと」ばかりを連呼する。しかし選挙が終わったら、一体どうしているのか。選挙の前には懸命に駅前で活動をしていても、選挙が終われば駅で見かけなくなってしまう。それでよいのだろうか、という率直な疑問がこの活動の基本にある。
そして、実際に活動してわかったことだが、朝よりも昼、昼よりも夜、夜も遅い時間帯の方が、お声かけいただくことが圧倒的に多い。余裕のある夜の帰り道の時間帯に話し込むケースも多い。
一方、政治活動に取り組む立場からは、まとまって多くの人が集まる朝の駅の時間帯は、効率が非常によい。ひとところに立つだけで、短時間で多くの人に自身の存在をアピールすることができる(政策や考え方を理解してもらうのではなく、単に存在をアピールするだけにしかならないことは言うまでもない)。「朝、どこどこの駅にいた」ということが話題にさえなれば、所期の目的は達成されたと考える政治家は少なくない。改めて、何のために活動しているのか。
私も4年あまりではあるが、会社員の経験があるのでよくわかるが、朝の通勤・通学の時間帯は誰しもが忙しい。基本的に多くの人がせわしくしていて、チラシを受け取る余裕などない人が大半だ。
「朝の駅は慌ただしい」という、単純な事実・常識さえ、選挙に立候補しようという者が理解していないことは危機的ですらあると思う。ややもすると、「この駅は受け取りが悪い」などと悪態をつく。市民の感覚からかい離しすぎている。投票率が低下していることや、政治への関心が低下していることを嘆く前に、自身の活動や政治家としての来し方、自身の在り方を強く自省すべきではないか。
朝は声もかけずに、ただ通り過ぎただけの方でも、夜には「本当に夜までいるんですね」と少し驚きながら言ってくださることもあった。政治家は口ばかりと思われがちだからこそ、実際に始発から終電まで有言実行している姿を見て、初めて信じていただける、というのが現状だろう。お困りごとを抱えながら朝通り過ぎて行った方にとって、帰宅時にまた会えたら今度こそ相談してみようと思っていただけるかもしれない。行き帰りの双方に電車を使う方であれば、始発から終電まで待っていることで、2回会うチャンスをつくり出すことができる。
私はこの活動を、当選させていただいた後も続けることを、選挙期間中に市民のみなさまとお約束した。蒲郡市内に7つある駅のどこかで、毎月、始発から終電まで、駅の出口でお話を伺う。4年間継続することを改めてここに記して確認しておきたい。
4 政治にかける思い、そしてこれからの私
・なぜ政治家を志したのか
先月、市内のある駅で始発から終電までの活動をしていたところ、夜の帰り道の時間帯であったが、「なぜあなたはそこまでするのか」「どうしてそこまでがんばれるのか」と尋ねてきた方があった。たしかに他の政治家は、ここまでの活動はしない。疑問に思われるのも無理はない。
ここで私が政治を志した理由を述べたい。
私自身、小さいころからいじめを受け、一時期、人生を諦めそうになった経験がある。私は何とか思いとどまることができたが、3人の同級生を自殺で失った。ひとりは10代のうちに、もうひとりは20代の中盤で、もうひとりは30になる前で。同級生の自殺を後から知った私は、何も力になれなかったことを強く後悔した。ひとことメールでも電話でもしていれば、自殺に追いやることはなかったかもしれない。そんな後悔の思いは今もまだ強く、これからもずっとずっと続いていくだろう。そんな私のような思いを、もう他の誰にも抱いてほしくない。そして、自殺してしまう人をゼロにしたい。
そう考えた私は、まず自分ができることは何か、と考え、仲間とともに自殺を取り巻く問題に取り組むNPO法人を立ち上げた。そして、NPO法人という立場から、政策提言や居場所づくり、イベントの開催など、様々な活動に取り組んだ。とりわけ私は政策提言を主に担当し、行政や議員への働きかけに力を注いでいた。少なくない議員が、私たちの政策提言に耳を傾け、場合によっては、イベント開催にお力添えをいただいたり、行政職員との面談の場を設けてくださったりと、協力をしてくれた。議会質問で取り上げてもらったケースも多い。いろいろな自治体、いろいろな相手にアプローチできることは、たしかにNPO法人としての活動のメリットではあるが、同時に私は一定の限界を感じていた。それは、議員や行政職員のみなさんは、たしかに私たちの政策提言に耳を傾けてくれるが、どうもその先へなかなか進まない、聞くだけ聞いてくれるが、なかなか施策が実現しない、聞くだけで終わってしまっているのではないか、ということだった。
自殺を取り巻く問題は、文字通り一刻を争う問題で、今日明日、生きるか死ぬかという状況に直面させられている人のことをこそ、考えなくてはならない問題だと思う。深夜3時半の電話に、もし私が出ることができなければ、もうその時点で、ひとりの命が失われていたかもしれない。私からの政策提言も、基本的にはこうした問題意識に基づいているが、どうも政治・行政の動きは鈍く、前提となる時間感覚・タイムスパンも、私のそれとは大きく異なっているように感じられた。政策提言を繰り返せば繰り返すほど、そうした不満が募っていった。
いっそのこと、私自身が政治・行政の中に入って、動き回った方が、早く解決策に結びつけることができるのではないか。自分が動くことで、自殺によって悲しむ人をひとりでも減らしたいーこれがまさに、私が政治を志した原点である。
つい先日に終えたばかりの、最初の議会での一般質問でも、この自殺をめぐる課題を取り上げた。蒲郡市における自殺者数は年間でも20名程度で、数だけに着目すれば、決して多い数とは言えないかもしれないし、市政には他にもいくつもの多くの課題があることは重々承知しているが、この問題を取り上げないわけにはいかなかった。蒲郡市で策定された「自殺防止対策計画」が少しでも実効性のある計画となるよう、今後も力を入れていきたい。
・これからの取り組み
当選させていただいて以降は、新人もベテランもなく、すでにひとりの市議会議員としての活動が始まっている。政治のひとつの重要な役割は、社会の中で弱い立場に置かれてしまっている人の声を届け、少しでも誰もが暮らしやすい社会を実現していくことにある。NPOの活動に没頭しているころから、この思いは変わらないが、議員という立場とNPOという立場で大きく異なるのは、議員には問題を解決するための手段やある種の強制力、また、政策を実行させる、あるいは政策の実施を監視する機能があるという点であろう。その権限に濫用があってはならないことは言うまでもないが、適切に行使されることでよりよい政治が実現していくことを、すでに実感している。これからも、ひとりひとりの市民のみなさまの声に、ていねいに耳を傾けながら、私なりの市議会議員の姿を追求していきたい。
・謝辞
蒲郡市は私の出身地であるが、大学進学から地元を離れて以来、年に何度か帰省する程度で疎遠となっていた。とりわけ政治的な伝手は皆無であったところ、メールマガジン「オルタ」を通じて、故加藤宣幸さんに、鈴木克昌衆議院議員(当時)との縁をつないでいただいた。そのおかげで、今がある。故加藤宣幸氏に深い感謝と御礼を申し上げ、本記事を墓前へのご報告として捧げたい。
*なお、選挙結果については、こちらから地元新聞社のまとめをご覧いただきたい。
https://www.tonichi.net/senkyo/gamagori2019/index.php
*なお、本稿の初出はメールマガジン「オルタ広場 14号(2019.6.20))」